電卓はこう表示しています:0.025ユーロ。 請求書にはこう書かれています:250ユーロ。 あなたはどちらを信じますか? Science Centerにいる100人の子どもたちが、休憩のためにテーブルに座ります。子ども一人につき1本、合計100本のジュースがテーブルに運ばれてきます。 ジュース1本の値段は2.50ユーロです。 生徒の一人がスマートフォンを取り出し、100本のジュースが全部でいくらになるのかを計算するために電卓を開きます。 ところが、×を押すつもりが、間違えて÷を押してしまいます。 画面に表示されたのは: 0.025ユーロ 生徒は少し変だと思いますが、数字が画面に表示されているので、もう一度確認しません。その間に、100本のジュースはすでにテーブルに並び、子どもたちは開け始めています。 数分後、請求書が届きます: 250ユーロ 生徒たちは顔を見合わせます。誰かがすぐに「これは間違いだ」と言います。 生徒はもう一度スマートフォンを取り出し、自分が何をしたのか確認します。 ×を押す代わりに、間違えて÷を押していたのです。 たった一度の押し間違いが、250ユーロを0.025ユーロに変えてしまっていました。 そして100本のジュースは、すでにすべて開けられていました。 電卓が答えを出したとき、画面に数字が表示されているだけで十分でしょうか? それとも、その結果に意味があるのか、そしてその桁の大きさは妥当なのかも考えるべきでしょうか? 機能的非識字とは、単に文章を理解できないことだけを意味するのではありません。時には、画面に明らかにおかしな結果が表示されているのに、それがおかしいと気づけないことも意味します。 あなたは、どこで思考の鎖が切れると思いますか? 計算そのものですか、結果の理解ですか、それとも答えを確認する習慣がないことですか? #教育 #学習 #PISA #MrNumberwise #日本語 #20260910 #0089